

| 夜中まで続いていたバイクの音はいつ止むともなくそのまま朝を告げる音になる。 朝5時。向かいのカフェでは早くも人が集まり、世間話を始めている。まだ人通りの少ない通りをごみ収集車が行き来し、市場の周りで野宿していた野菜売りの女性たちがもぞもぞと動き始める。通りのごみがすっかり回収され、薄明かりの市場の中に日がさして来る頃、市場は本格的に目が覚める。 ベトナムの市場には冷蔵庫も冷凍庫もない。今朝さばいたばかりの肉や、生きたままの鶏、収穫したての野菜、ピチピチとはねている魚が並び、その日のうちに売り切ってしまう。値段はその鮮度によって決まる。朝一番が最も値が張り、昼、夕、夜と鮮度に比例して値段も下がっていくシステム。冷凍・冷蔵が当たり前の日本から見るとベトナムの市場の贅沢さはうらやましい限り。 朝の市場でひときわ食欲を刺激するのは、炭火で焼いた肉の匂い。たたいて薄くのばした豚肉を甘辛く味付け炭火で炙り、豚皮の千切りのピーナッツ和えとともにご飯の上にのせる。 フォーも朝食の定番。基本的にはフォーは鶏肉と牛肉の2種類しかない。しかし、同じ牛肉でも肉がレアなのか、ミディアムなのか、もしくはスープで煮込んだ「煮牛」のスライスなのか選び、トッピング(骨髄・生卵・すじ肉・肉団子など)も指定できる。フォーが出るまで待ちきれない人はテーブルの上の大皿に積んである「ミートパイ」や、「ゴマ団子」なんかをつまんでもいい。 |
| 日差しが強くなってくると、ベトナム人たちは涼しい室内や日陰へと避難を始める。彼らに代わって街中へと繰り出すのは私たち外国人観光客。 サイゴン市内は私たちを喜ばせるもので溢れている。日本の女性雑誌で紹介しているような雑貨店や、カフェ、コロニアルな建物、ココナッツジュース売り。南国のまったりしたけだるい空気とあか抜けた街並みが程よく溶け合ってなんともいい感じ。 まず、気をつけたいのは、買う気がないのに商品に手を触れたり、ひやかしで値段を聞かないこと。本当に興味の場合のみ値段を聞いてみよう。すると売り手は「お風呂の椅子」を出してきて、座るように勧めてくる。腰を落ち着けたら商品の吟味と値段交渉。ここには定価はないので交渉しだいで値段が決まる。その価格には幅があり、安いほうから、地元人価格、地元以外のベトナム人価格、ベトナム人金持ち価格、ベトナム語の観光客価格、英語の観光客価格、日本語の観光客価格、といったところ。 売り手に対しては慎重に、きちんと敬意を示して誠実な態度で接した方がいい。彼女たちと友好的な関係を築いた方が交渉もしやすいし、怒鳴られたり、物を投げつけられたり、にらみつけられたりしなくても済む。 ベトナム人はこうして、一つ一つじっくり時間をかけて買っていく。まるで、時間という観念がないのかと思えるほど、のんびり話し込んでいる。話題は明らかに値段交渉から世間話になっていくが、売り手も、買い手も全く急ぐ気配がない。これこそ、正しいベトナムでの買い物風景といえるだろう。 もうそろそろ、昼食の時間。市場の中の食べ物コーナーでおいしそうなビーフンを食べるのも悪くないが、外へ出て食堂に入るのもいい。 お腹がいっぱいになった頃、日差しはますます強くなっている。ベトナム人たちは何をするわけでもなく日陰でくつろいでいる。暑さでエネルギーを失わない為の南国の常識。ここは私たちも彼らを倣って部屋に戻って一休みしよう。冷たい水を浴びたらハンモックに体を任せ、目を閉じる。天井で回るファンの音を遠くの方で聞きながら、暑い昼下がりのうたた寝。次に目が覚めるころには暑さも少しは和らいでいるはず。 |
| 一瞬、開け放した窓の外から、風が強く吹き込んだと思ったら、ばらばらと大きな音がして目が覚める。乾いた地面から埃が舞い、途端に湿り気を含んだ匂いに変わる。ハンモックの中でまだ目は閉じたまま、何となく子供の頃の夏休みのことを思い出している。 暑い日の夕方、同じ匂いがした。最初はゆっくりだが、あっという間にその勢いは増し、しまいには大雨に変わる。どこから帰るところだったのだろう。道の真ん中で半ば呆然として空を見た。困ったふりをしながらもうれしさは抑えきれずにわざと水たまりに足を取られながら家へと急いだ。 起き上がり窓の外を見る。 お店の軒下で雨宿りをする人、雨の中を駆け回る子供、まるで雨なんてふっていないかのようにただ歩いている人、どこから現れたのか傘を売り始める子供、バッグの中からレインコートを出し自分ばかりかバイクにも覆いかぶせる人。いつものスコール。 すぐやむことを知っているせいなのか、あまり傘をさす人はいない。傘売りの子供は商売上がったりの様子。これもいつものこと。 ひんやりとした空気があたりの熱気と埃を洗い流す。でも、それもつかの間。降り始めたときと同じぐらい嘘のように唐突に雨はあがる。太陽は数分前と変わらない力強さで水浸しになった地面を照らし、見てとれるほどの速さでその水分を奪う。と同時に熱気も奪い去られたようで、幾分涼しくなったよう。 散歩にでも行こう。 ベトナム人は夕方の散歩がお気に入り。水浴びして、昼寝して、パリッとした清潔な服に着替えると出かけていく。 しかし夕方のけだるい雰囲気は長くは続かず、日が暮れるにつれて、人々は活発に動き出し、街はまた別の一面を見せ始める。 |












| サイゴンの夜は遅い。
街の中心のローターリーには市内のバイクが総動員されているのではと思えるほどのバイクの群れ。どこへ行くでもなくただぐるぐると回っている。いつまでもいつまでも流れが滞ることはない。 大型スーパーマーケットを覗いてみる。日本のスーパーのイメージとは程遠く、ネオンが輝き最新ポップスが大音響で流れ、店の前にはバイクが無数に止まり、一大娯楽施設のよう。屋台風の食堂も大盛況で、ゲームコーナーには子供たちが殺到し、若い女性はワゴンセールのTシャツを選ぶのに必死になっている。 南国風の凝った造りのカフェレストランはこのところ急速に店舗数が増えているようで、市内のいたるところで見られる。場所が中心地から離れているせいか、不思議と観光客が少なく夜遅くまでベトナム人で賑わっている。皮までパリパリに焼かれた豚肉や鶏肉の香ばしい香り、食卓の上の鍋からは湯気が立ちのぼり、たっぷりと氷の入ったグラスにはビールが注がれ、いたるところで乾杯の声が上がる。氷で幾分薄まったビールと店内の熱気とおいしい香りですっかり酔っぱらってしまう。 酔いを醒ますなら屋台めぐりもいい。市場の周りには夜限定屋台が並ぶ。貝類の屋台では蒸し貝、レモングラス炒め、焼き貝などが食べられるし、夜の定番「孵化しかけのアヒルの卵の蒸したもの」ももちろんある。この卵、日本人はあまり食べたがらないけど、本当においしい。鶏がらスープに卵と肉が入っている、という味。以前日本のテレビ番組で中身をすべて皿の上に出して食べようとしていたのを見たことがあるけど、あれは間違い。あんなことしたらベトナム人だって気持ち悪がって食べられない。正しくは、まずゆで卵入れに卵を立て、スプーンの背で上のほうを割る。中にスープがたくさん入っているので口をつけて飲み、塩コショウを少々入れ、スプーンですくって中身を食べる。時々添えてある香草を食べる。こうすれば何の抵抗もなく食べられる。 オープンカフェの通りに面した席に座ってみる。夜風の中で飲む冷たい1杯は格別の味。ビールやカクテルでもいいけど、せっかく果物の宝庫に来ているのだからフレッシュジュースでもいい。通りを眺めながら座っていると物売りたちが次々とやってきては消えていく。宝くじ売りのお婆ちゃん、花売りの子供、うずたかく積まれた本を片手に抱えた本売りの女性、チューインガム、タバコ、ライター、サングラス、と商材は様々。みんなコンパクトにまとめられた薄っぺらな箱一つで売り歩いている。そんな物売りたちの話。 部屋に戻ってベッドに入ってもバイクの音ですぐには眠れない。 |





